お疲れ様です!とーやです!
みなさんは努力してますか!?日々、練習やバトル、ナンバーに精を出してる姿をSNSで拝見しています。本当に刺激になります。
ですが、少し頑張りすぎてちょっと引いてしまう自分もいます。「本当にダンスや音楽を楽しめてるのかな?カラダやココロは健康かな?」と、ときおりいらぬ老婆心が顔を出すんです(ディスってるわけじゃないですよ)。
冷笑時代は終わり、いまや熱血時代といわれる昨今(言われてるかは不明)、努力する姿が美しいとされています。でも、その努力がその人にとって本当に正しいのかまでは、誰も議論してくれません。
怠惰日本代表である私としては、人の頑張りを否定する気はありませんが、不要な努力は避けるべきだと思ってます。SNS越しでしか見てないので真意はわかりませんが、「頑張ることが義務化されてる」風潮を感じずにはいられないんです。
今回は、「努力することは努力じゃない」という話を記事にまとめました。
S1|練習量がすべてなわけない
ダンスを長くやってると、「うまくなるためにまずは練習!」という発想に着地しがちです。「1に練習、2に練習、3,4も練習で100も練習」みたいな、日本人のブラック精神全開でダンスに向き合うのは、誰しもが通る道だと思います。練習時間と成果は一定まで相関しますが、ある段階から頭打ちになる。私自身、大学生の頃にこれでもかとダンスに打ち込んでいました。一ヶ月連続深夜練、ヤスダに通い詰めてはヤスダの住人と化していました。夏のヤスダでカナブンに襲われるのはあるあるです。
逆に、練習はそこそこに遊んでいるように見える人のほうが、ステージの上では選ばれていく。皆さんも見たことありますよね。そんな理不尽に枕を濡らした日々を今でも鮮明に思い出せます。
なぜこんな逆転現象が起きるのか。答えは努力の方向性にあります。練習すればうまくなるというのはそのとおりなんですが、トゥエルを1日100回!ロックを1日100回!をやり続けて成果につながりづらいのは、一生懸命ダンスに興じているみなさんならなんとなく理解できるのではないでしょうか。同じ練習を反復で毎日繰り返すことに、果たして何の意味があるんでしょうか。
本記事は、努力を否定する話ではありません。努力には別の道があるという話なんです。
S2|本当の努力って、そもそも何なんでしょうか
ここで、努力の定義を一回ひっくり返します。
世間では「努力=辛いことに耐えること」という共通理解があります。苦手なステップを練習する。受験のために勉強を頑張る。健康を意識して早起きしてランニングする。よくある「努力してる」像とはこういうことだと思います。これらは努力じゃなくて「考えるのを諦めた」状態です。「自分はやっている、たくさんやっているんだ」というところに、もう惚れ惚れしちゃってる。痛みを耐えてる自分が好きなだけで、その痛みが結果に直結してるかは、まったく別の話なんです。
私は一時期めちゃくちゃ筋トレしてた時期があったんですが、結局ダンスでは使わない筋肉の筋トレでした。基礎体力は上がりましたが、ダンス成果には直結しない。ただ「鍛えてる自分」に酔ってただけであり、筋肉のついた自己満足オバケが誕生したにすぎなかったのです。
私が思う本当の努力は、こういう状態のことです。
目的に必要な過程が、自分のやりたいことと一致するものを探す作業。
「やれちゃうこと」「やってしまうこと」自体は、もう努力でも何でもなくて、ただの作業になってる。これが私の言う努力=環境整備です。
例えば、苦手なステップを練習するにしても、そもそも自分の踊りと馴染むのか、バトルやコンテストで本当に必要なのかは別問題です。受験勉強も健康ランニングも同じ。目的に必要な過程がずれている可能性があるんです。
最近では、バーピージャンプを自分のレッスンに持ち込んでます。生徒さんは嫌な顔をしてやってますが(悲しい)、効果が目に見えて出てるから続けてる。タバタ式で入れ込むと、思考を巡らせることすらままならない。でも終わるとスッキリ感と集中力向上に見舞われます。痛いから偉い、じゃなくて、目的に効くから入れてる。同じ「キツい」でも全然違うんです。
ダンスでいうと、「バトルで優勝したい」となった時、トゥエルを1日100回!ロックを1日100回!に走るのは違うんです。自分はこういう性質で、こういうジャンルの曲が好きと分析する。そういう曲がかかるバトルに出る。その曲に対してこう踊りたい、こう動きたいという発想を自分の中に持つ。あとはその発想通りに踊る練習をする。これが私の言う努力です。
私自身の「気づいたらやってた」エピソードでいうと、このブログがそうです。誰かのためというより、自分の頭を整理するために書いてます。モヤモヤが晴れて、自分が何をすべきかが明確になり、ダンスを自信を持ってアウトプットできる。本番では楽しく直感で踊れるし、人と会話した時に新しい視点ももらえる。だからブログを書くのは「辛い」とは一切思いません。これが「やれちゃうこと」の正体です。
逆に、「今日は2時間練習しなきゃ」と自分を縛って、終わった瞬間にホッとしている。あれはノルマであって、努力ではないんです。
しかも厄介なのは、こういう人ほど他人に見せたがるんです。SNSで練習動画を量産したり、Threadsで頑張りを発信したり。私はそういう人たちを、ニッコリ笑顔で眺めてます(真顔)
努力をアイデンティティにすると、視野は「努力でどうにかする領域」にどんどん縮小されていきます。本当はそもそも踊り方や生き様を変えるべき場面でも、練習量を増やす方向にしか手が動かなくなる。
努力それ自体が悪いんじゃありません。自分のアイデンティティにした瞬間に、それは病になるんです。
S3|必要なのは練習量じゃない、何に努力すべきかを見抜く力
じゃあ、それを病にしないために必要なものは何か。答えは一つです。
そもそも何に努力すべきかを見抜く能力。
必要なのはこれです。「練習量が足りない」「フィジカルが足りない」「気合いが足りない」と、足りない理由を今の努力の延長線でしか説明できない人は、対象そのものを疑えない。Netflixの自動再生で気づいたら2時間溶けてる、あの感覚と同じです。流れが続いてる間は、その流れ自体を疑えないんです。
一度、流れから降りる。練習場から離れる。違うジャンルのバトルを観に行く。本を読む。なんでもいい。今やってる努力の輪から外に出ると、急に見えてくるものがあります。
私自身、ジャッジ側でバトルを観ると、見えるものが全然違います。努力の量はちゃんと伝わる。でも、「ダンスを楽しむ」「音楽に乗る」という本質を失ってる人が多く見受けられる。観てる側に立たないと絶対にわからない景色でした。
判断軸その1:迷ったらNoでいい
何に努力すべきかを見極める第一歩は、判断軸を持つことです。私がずっと運用してる、一番効く判断軸を紹介します。
やるかやらないかで迷った瞬間、それは本当はNoの合図です。
本当にやりたいことに対しては、人間は迷いません。手が勝手に動く。「行こうかな、どうしよう」と迷ってる時点で、本質目標から微妙にズレてる。
ダンスでいうと、行こうか迷うイベントには行かない。練習に誘われたけど気が進まない人とは組まない。上げようか迷う練習動画は上げない。これだけで、自分の時間が驚くほど戻ってきます。
私自身、「みんなが出るから」と引きずられて出たバトルで、結局負けて嫌な後味だけが残ったことが何度もあります。仮に勝ってたとしても、後から振り返れば「出なくてよかったな」になってた気がします。Yesで時間を奪われると、勝っても負けてもしんどい。だから、迷ったらNo。これが努力の方向を狂わせない、一番でかい一歩です。
「Noと言ったら嫌われそう」と考える方も多いでしょうが、あなたごときがNoと言ったからといって影響が出ることなんてほとんどありません(断言)。考え抜いた末のNoは誠意ある行動ですし、本当の友達なら意図を汲み取ってくれます。地球が滅亡するくらいのことがない限り、あなたの気分でNoと言っていいんです。
判断軸その2:削った時間を、本当に大事なものに突っ込む
そして、Noで生まれた時間をどう使うか。ここが、本記事の最後の核心です。
私が好きな言葉に、「より少なく、しかしより良く」というのがあります。減らすこと自体が目的じゃない。ミニマリストになれと言ってるわけじゃないんです。削った時間を全部、本当に努力すべき対象に突っ込む。引き算の先に、特大の足し算がある。
ダンスでいえば、全ジャンル80点を目指すのをやめて、1ジャンルを120点に振る。深く狭く、突き刺さるところまで振り切る。
私自身、ロックダンスの中でも身体能力を活かして、「コントロールがギリギリなところでシルエットを綺麗に保つ」ことに振っています。ソウルステップや他ジャンルフレーバーはほとんど取り入れていません。やろうとしてもできないし、自分の特技に振る方が効果的だと考えています。そのようなダンス的ポジションに全振りしてから、負けて悔しくても恨みつらみが出る前に、「みんな俺についてこれてないんだな(遠い目)」という自分の役割に対する自信が溢れ出るようになりました。
着地
ここまでの自分の運用思想は、「より少なく、しかしより良く」を体系化した思想で、世の中ではすでに語られているものです。ダンスにも仕事にも当てはめて運用してきました。仕事も、無駄な会議や雑務をやらないと決めて、会社全体のミッションから本当にやるべきことを洗い出す。最近は1日3時間労働で済んでいます。
努力すればいい、じゃないんです。何を捨て、誰と組み、何に振り切るか。それを見極めて初めて、努力という言葉が、ようやく意味を持ちます。
まとめ
改めて、本日のまとめです。
- 努力=辛いことに耐えること、ではない。それは「考えるのを諦めた」状態
- 本当の努力は、目的とやりたいことが一致するまで「環境を整え続ける」こと
- 迷ったらNoを言い、削った時間を、本当に大事なものに突っ込む
「努力すればいい」で済むなら、誰も苦労してないですよね。明日の練習を始める前に、まず不要なものを削るところから始めてみませんか。意外と、削ったほうが踊りは強くなるんです。サボれと言ってるわけじゃないんです。本当にやるべきことに注力しようと言いたいんです。
最後までご精読いただきありがとうございました!

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