こんにちは!とーやです!
先日開催されました、Shout A BATTLECRY VOL.17(以下、バトクラ)におきまして、わたくしとーやはバトルジャッジに携わらせていただきました!
最近ジャッジのご依頼が多いのは大変ありがたいです。ありがたいんですけどホンマにキツイです。特に今回のバトクラは、後述のように特殊ルールが採用されていたこともあり、判断に悩む瞬間が多かったです。イベントの新たな取り組みに素直な賞賛を送りつつも、判断する側は頭をひねりすぎて一回転して元の位置に帰ってきてましたね(?)
艱難辛苦を耐えながらバトルを眺めていると、この特殊ルールならではのダンサーに対する新たな視点を確立することができました。それが『”個性”とは結局なんなのか?』ということです。皆さんも一度は経験があると思います。「もっと個性を出して踊れてたら勝ててたね(ドヤ)」といったような、毒にも薬にもご飯にもならないジャッジ様のありがたいお言葉を。「”個性”って具体的になに?」「”個性”を出して踊るってどうやるの?」「じゃああなたの”個性”は?」と、ギャン詰めしたくなる気持ちを抑えて皆さんはバーカンに駆け込んだことかと存じます。
そんなあまりにも抽象的すぎる”個性”について、バトクラジャッジを通して、とーやなりの一つの見解を導くことができました。最初に断っておきますが、これからお伝えする方法は定量的な結果を得られるベストな方法というわけではありません。ですが、”個性”というものに迷いや悩みが生じたら、自信を見直すキッカケになるはずです。
本記事ではバトクラの特殊ルールに沿って、”個性”というものの正体とその育成方法をとーや視点で書き殴っていきます!
バトルのカギは”役割分担”にあり
あなたがチームで成すべき役割はなんですか?
今回のバトクラは「混戦バトル」と銘打って、実績・経歴に応じてチームごとにメンバー数が変わるという特殊ルールで開催されました。目立った実績がなくダンス歴が短い人たちは3人チーム(ビギナー)、実績もあり経歴も十分の人たちは2人チーム(アドバンス)、エントリーリストで名前があるとヒヨっちまうぐらいに強い人は1人(オープン)でエントリーができるシステムです。ムーブ数は人数が多い方に合わせるため、ビギナーVSオープンの対面となった場合は、オープンのバトラーは1人で3回踊らなくてはならないのです。主催の狙いとしては、「上手いダンサーを頭数で倒せるのか!?」といったところでしょう。
そんな特殊ルールの中で最も重要になってくるのが、チームメンバーの”役割分担”です。先日のアップした【VORTEX DUOレポート】の記事でも書いているとおり、ダンスバトルで勝率を上げるなら、メンバーの得意と苦手を理解してチームの最大化を目指すべきだと私は考えています。学校では文系・理系があったり、会社では営業部門・開発部門があったりと、それぞれの得意な役割が振られています。正直なところ、人間頑張ればある程度のことは全てこなせるとは思います。しかし、個々人が専門性を持ってそれを磨き、ひとつの組織として集まることでより効率的に成果を出すことが可能なのです。
本イベントにおいては、正面の殴り合いではまず勝てないオープンを誤って殺すには、”役割”を意識して飽きさせない工夫をすることが重要です。オープンは1人で最大連続3ムーブする必要があり、やれることの範囲がとても狭いため正直飽きます(ていうか冷静に1対3っていじめじゃね?)。ビギナーやアドバンスはルーティンをするでもかけ合いをするでも、各ムーブの”役割”を最大限全うすることで勝てるチャンスはいくらでもあります。しかし、蓋を開けてみると、オープンがビギナー・アドバンスの徒党を壊滅に追いやる光景がそこにはありました(遠い目)。
私の主観では、「もう少し”役割分担”がはっきりしていれば…」と思う瞬間が何度もありました。この”役割分担”の指標となるのが、”個性”です。その人の色、得意、ストロングポイントがチームの強みとして活かされていれば、オープンのわかりやすい弱点である「やれることの範囲の狭さ」を突いて勝利をつかみ取ることもできたのではないでしょうか。
”個性”を作ることはできない
自身の体験と周囲の認知で勝手に”個性”が作られる
あくまで一意見ではありますが、ほぼ正解なんじゃないかと確信していることがあります。それが”個性”ってもんは最初から存在しないという考えです。”個性”に関しては、「焼肉にライスが必要かどうか論争」と同じくらい一生語られている概念です。こんなにもフワフワした抽象概念である”個性”を、実際に手に取って使っている人はこの世の中にたくさんいます。
”個性”とはその人の体験がミックスされて形になったものです。あえて、聞こえ悪く言うのなら”誰かのパクリの合わせ技”が個性になります。”個性”と聞くとその人らしさや唯一無二感を強く感じると思います。しかし、憧れのあの人も、尊敬しているこの人も全くの「無」からは成り立っていないのです。その人がこれまで体験してきたものを取捨選択して、実際にこの世に出力したものが”個性”として認知されるという理屈です。体験の取捨選択方法ですら誰かのパクリであることも考えられます。
そして、この”個性”というのはコミュニティ内で認知されて初めて”個性”として確立されます。例えば、とんでもない才能をもっているダンサーも、無人島でただ一人踊り狂っているだけでは誰がその才能を評価できるでしょうか。最近で言うと、「プロゲーマー」という肩書も少し前では、社会では”個性”として認知されていなかった事実があります。いまでこそ、Dリーガーやeスポーツプレイヤーという肩書を世間は認知していますが、それまではただの「踊れるフリーター」であり、「引きこもりゲーマー」というレッテルが無造作に貼られていました。俗に言う『市民権を得る』というのが、このコミュニティで認知されることを指していると考えています。周りの人が居て初めてあなたのソレが”個性”だとわかるのです。
このような、曖昧な性質を持つ”個性”を無理に出そうとするダンサーもいます。ですが、前述のとおり、自身の体験と周囲の認知を伴わないものは”個性”として判定されません。ゆえに、自信の体験に基づかないことを無理に表現しようとしてしまうと、真に伝えたいメッセージが周囲には見えてきません。”個性”を出そうとすることは、”個性”を殺すことと同義なのです。バトクラにおいても、チームのためになんとかしようと苦手なものにまで着手したり、無理にルーティンをしてぎこちない感じになるチームもありました。自身の”個性”を自他ともにヒアリングして、確信があるものを堂々とムーブに出力していくべきなのです。
皆さんが普段目にする個性的で魅力的な人というのは、それだけ多くの酸いも甘いもな体験をして自分や周りの感情を動かしてきた強い人なんです。そう考えると、「個性的な人」はただ考えが奇抜なだけではないと感じませんか?
”人と違う”は最強最弱の武器
「機会費用」を意識して個性を磨く
「じゃあ色んな体験すればいいのか!」というと、それだけでは足りないと私は考えています。もちろん、毎日がルーティンワーク化するよりは積極的に体験を積みにいくことは大事です。ここで私が強調したいのは、『人と違うこと』を積極的に体験することが圧倒的に大事だということです。
例えば、私の『人と違うこと』は、富士山頂でご来光を体験したことです。あの雲の隙間からジワジワ太陽の光が漏れだす様、太陽が昇り切ると極寒だった山頂が太陽光でだんだんと暖かくなるあの感触を共感できる人は少ないかもしれません。また、私の育った家庭環境も『人と違うこと』でした。その影響で学校の友だちとのギャップを感じていた時期もありました。「え、みんなの家って離婚とか再婚って普通にしないの?」「え、再婚後に生まれた妹と自分との扱いが違くて自暴自棄にならないの?」みたいなやつです。今の私の価値観を作っているのは『人と違うこと』を体験した結果であると感じています。
『人と違うこと』はそれだけで他の人を助ける武器になります。また、『人と違うこと』を体験をした分、人が体験していて自分が体験していない弱点にもなります。こういった状況を難しい言葉で「機会費用」と言います。バトクラでオープンのバトラーに対して「機会費用」の目線で戦いを挑めていたら、確実に結果は変わっていたのではないでしょうか。『人と違うこと』は確かにリスクのあることです。同時に、『人と一緒』であることも同じくらいリスクのあることなのです。
義務教育や一般的な会社では、マニュアルをもとに体験が均一にデザインされるように設計されています。これは社会を効率的に運営するうえで決して悪い方法ではありません。ですが、ことダンスになれば話は別です。誰しもが体験したことがある、どこか既視感を感じるものをわざわざお金と時間を費やして見たいと思うでしょうか。そんな人に誰が魅力を感じるのでしょうか。『人と違うこと』の良さは会場で7toSmokeを見ていた人なら頷いていただけると思います。あそこまで心が熱くなるようなバトルをたくさん見たいはずです。
体験はなんでもいいんです。コンビニで新作スイーツを試すとか、人が見ないようはマイナーアニメを見るとか、普段絡む人とは違う人と練習してみるとか、名前は知っているけど喋ったことない人に声かけるなど、些細なことでいいんです(※できれば皆には富士山に登ってほしい)。自分の興味のあるテーマで手軽なものからチャレンジすると、行動に対する評価と反省をするようになり、次の『人と違う』体験へとステップアップしていきます。
「体験なんてダンスの技術に直接関係ないじゃん!」と感じる方もいるでしょうが、正直、体験の量と質が圧倒的な人は練習のアウトプット精度が高く、本番での対応力や選択肢の量が全然違います。この人たちが体験してきたことのほとんどはダンスに活きるかどうかなんて関係なく、とりあえずやってみて修正してを繰り返してきたに違いありません(話を聞く限り)。体験と軌道修正を繰り返すことで、最終的にコミュニティの認知を得ることになったと考えられます。年上のダンサーたちがバトルで勝ちまくっているのはシンプルに体験から来ていると結論付けるのは不自然ではないと考えています。
まとめ
バトクラでジャッジをして感じた”個性”について、私の見解は以下の通りです。
〇チーム内の”役割分担”を明確にすべき
”役割分担”でチームの最大化を図るべきであり、その”役割分担”の指標となるのは”個性”
〇”個性”は勝手に作り上げられるもの
その人が体験してきたことがコミュニティで認知されて自動的に”個性”というレッテルが貼られる
〇『人と違うこと』が”個性”を育みあなたに”役割”を与える
『人と違うこと』も『人と一緒』なのもどっちもリスキーなら、前者のほうが踊る理由になり得る
たまに、「俺がチームの足を引っ張っちゃった…」と発言される方がいらっしゃいます。その発言がチームに対してめっちゃ失礼な自覚ありますか?ルーティンのミスやムーブの不調など色々あるかもしれません。ですが、あなたの体験してきたことの結果がそのミスや不調であり、それ以上の成果は望めないのが現実です。であれば、あなたはあなたのやれることをやるべきです。あなたのことを信じてあなたに託した領域をあなたが全力でやり切れれば、たとえミスしようとも誰も文句なんて言わないはずです。文句言ってくる奴がいたらそいつとは関わっちゃいけません。
『人と違う』という”個性”はコミュニティ内の認知が得られなければ変人扱いされて終わってしまいます。ゆえに、「人と一緒」や「世間が認めるもの」に居心地の良さを感じてしまうのは人間の性です。ですが、あなたがダンスをしている理由、ましてやバトルに出ている理由は「自分を認められたい!」という承認欲求から来ているはずです。その承認の中身が「人と一緒」というのはあまりにも嘘が過ぎます。オリジナルである自分を人に見てもらいたいはずです。であれば、『人と違うこと』を積極的に体験するほうがしっくりきませんか?
最後までご精読いただきありがとうございました!
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