コミュ力が高い人は嫌われる|送受信のバランスを整えよう


お疲れ様です!とーやです!

ここ最近、仕事でもダンスでも周りから「コミュ力高いよね」と言っていただくことが増えました。でも正直、自分ではピンときてません。レッスンや練習が終わったらさっさと帰りたいし、大人数の場で先頭に立って仕切るのは今でも苦手です。家で一人で読書してゲームしたいし、一人でサウナで瞑想にふける方がはるかに好きです。

私は極度の人見知りです。初めての人と話すと緊張するし、人に不快な思いをさせたらどうしようって考えてしまいます。幼少期の経験から人の目を気にするようになって、それは今でも変わってません。

じゃあ、これまでの私と今の私で何が変わったでしょう。

世間では「コミュ力が高い」というのは誰とでもおしゃべりできて仲良くなれる人みたいなイメージがあると思います。でも私の実感は全然違います。むしろ嫌われるリスクを取ってでも自分の意見を伝えたことが、コミュ力に繋がったと思っています。

今回は「コミュ力が高い人は嫌われる」とはどういうことかをテーマに、コミュニケーションの本質を掘り下げてみます!


目次

コミュ障と人見知りの違い

人と話していると、ついつい「私、コミュ障なんで〜笑」って言う人いませんか?ただただ話し相手や内容に興味がないだけなのに、「自分はコミュ力がないけど許してね」と保険をかけるあの感じです。なにを隠そう、昔の私がよくやっていた手法です。断言しますけど、それはコミュ障じゃなくてただの人見知りです。

コミュ障——コミュニケーション障害って、本来はかなり重い意味の言葉です。相手と会話のキャッチボールが成立しない。一対一でも複数人でも、意思疎通そのものが取れない。それがコミュ障です。

一方で人見知りとは、「変に嫌われたらどうしよう」っていう不安を抱えてる性格のことです。初対面で黙っちゃうとか、大人数の場で自分から話しかけられないとか。でも話してみると意外と喋れるし、むしろ周りをよく見てる。嫌われたくないって思ってるということは、それだけ相手のことを気にしてるわけで、コミュニケーションを円滑に進めようとする意識がちゃんとあります。それって、コミュ障の真逆じゃないですか。むしろ自分がどのように見られているかを常に気にしていると考えれば、自分がこの世の主人公だと無意識に思っているほどの自信家ともとれます。

私自身、かなりの人見知りです(そして自信家です)。人見知りあるあるですが、初対面の人と二人きりなら問題なく喋れるんですけど、知り合いじゃない人がもう一人入ってきて3人になると途端に喋れなくなります。コミュニケーションの力配分をどうすればいいかわからなくなってしまうからです。でもコミュ障かと言われたら、それは違うと断言できます。相手と話していて、全てではないにせよお互いの伝えたいことの合意形成はできると思っています。自分が人見知りだからこそ、この2つが全く別物だってわかるんです。

「人見知り」はコミュニケーションの観点では問題ないと考えられますが、「コミュ障」はそうはいきません。意思疎通が取れない相手に対して、人は「怖い」と感じます。英語が喋れない状態で外国の方に話しかけられると、パニックになりますよね。あれは相手の言っていることがわからないことからくる恐怖です。理解できないものには近づかないっていう、人間の本能が働くからです。何を考えてるかわからない、会話が成り立たない——その恐怖は、「この人シャイだな」とはレベルが違うのです。人見知りは慣れれば距離が縮まりますが、コミュ障は慣れるとか慣れないの話じゃないんです。

世間で言われる「コミュ障」は「人見知り」とごっちゃにしている人が多いように感じます。それは自分のコミュニケーション能力を正しく認識できてないだけです。まずは「自分はコミュ障だ」という自己紹介を改めるところから始めてみてはどうでしょうか。

ちなみに、ダンサーは比較的人見知りの人が多いように感じます(体感)。一方で、コミュニケーション能力が高い方はかなり多いなとも思います(体感)。この矛盾、実はかなり大事になってくるので後述します。


「人当たりがいい」は何にもないということ

「あの人、人当たりいいよね」って、褒め言葉として使われがちですよね。でもこれ、冷静に考えてみてください。「人当たりがいい」って、要するに「角がない」ということです。角がないということは、引っかかりがないということです。引っかかりがないということは——印象に残らないということです。

ビジネスシーンやら恋愛テクニックでは、よく「人の話をよく聞く人は好かれる」と言われています。これは正解です。自分の言いたいことだけを言って、相手の話を全く聞かないというのはコミュニケーション的には万死に値します。でも「好かれる」と「印象に残る」は全然違う話です。誰にも嫌われない代わりに、誰の記憶にも残らない。ワンピースのルフィの話をただ当たり障りなく「うんうん。そうだね。わかるよ。」と聞き手に徹して、自分の意見を言わないキャラが麦わらの一味になれると思いますか?そんなの即刻「お前もう船降りろ」案件です(言ってない)。

恋愛では、女性はよく「優しい人が好き」って言いますよね(偏見)。でも実際に惹かれるのは、優しいだけの男より、どこか尖ってたりクセがあったりする人だったりしますよね(偏見)。学校でモテていたのは、私のような学校行事に積極的に協力していた人間ではなく、先生の話もろくに聞かずに悪さをしていた人間です(私が毎日教室の隅で友達とマリオカートをやっていたのがキモかっただけかもしれません)。これはなぜかというと、尖ってる人には「自分はこうだ」が見えるからです。賛否は分かれる。でも賛否が分かれるってことは、少なくとも相手の中に何かを残してると言えます。

一方で「人当たりがいい」人は、全方位に当たり障りがなく誰とでもうまくやれます。それ自体は悪いことじゃないです。でもそこに「自分はこう思う」「自分はこうしたい」がなかったら、それはコミュニケーションじゃなくて、ただの背景です。人当たりがいいだけで自分の意見がない人間に、今日日AIですら私たちに意思を持って接してくれる時代にどれほどの存在価値があるのでしょうか。道端の石ころとなんら変わりありません。

人当たりの良さで嫌われないようにしてるつもりが、実は誰にも届いてないというのは残酷な話です。

コミュ力とは「送信」と「受信」のバランスである

ここまで「人当たりがいいだけじゃダメ」って話をしてきましたけど、じゃあコミュ力って何なのかって話をします。

私の考えるコミュ力は、シンプルに2つの能力で成り立ってます。「送信力」と「受信力」です。

送信力は、自分がどうしたいか、どうありたいかを的確に相手に伝える力。受信力は、相手の言いたいことを的確に受け取る力。コミュニケーション能力って、この送信と受信の両輪で初めて成立するものだと考えています。

で、世間で「コミュ力が高い」と言われてる人って、ほとんどの場合、受信力の話をされてる気がするんですよ。「あの人は話を聞いてくれる」「空気が読める」「相手に合わせられる」——全部、受信力の話です。それ自体は素晴らしい能力です。でも、そこに送信がなかったら、ただの都合よく話を聞いてくれる人になってしまいます。キャバクラやホストみたいにお金をもらってるならまだしも、お金ももらわず人の話だけ聞き続けるとか地獄ですよ。

しかも受信力って、ただ「うんうん」って相槌打つことじゃないです。相手の状況や背景、言葉の裏にある隠れた文脈まで汲み取る必要があります。表面的な言葉だけじゃなくて、「この人は今なぜこれを言ってるのか」まで想像する。ご飯に誘った友人に「何食べたい?」って聞いた時に、「なんでもいいよ〜!」って言われても、本当に「なんでもいい」わけではないのです。「その時の私の気分を汲み取って、あなたが判断して」という文脈が裏に潜んでいる。本当になんでもいいのなら、昆虫食専門店に連れて行って友達の口いっぱいにタガメの姿焼きを放り込んでやればいいんです。でも多分キレますよね?このように、相手の発言に対して多面的に文脈を読み取ることが本当の受信力です。だから受信力が大事じゃないなんて言いません。めちゃくちゃ大事です。

その上で言いたいのは、送信力が軽視されすぎてるってことです。自分はこう思う。自分はこうしたい。それを伝えた上で、相手の反応を受信して、自分の中でYesかNoかの判断までやりきる。このサイクルが回って初めて「コミュニケーションが取れてる」状態です。送信力を意識するなら「何食べたい?」って聞くんじゃなくて、「和食か洋食どっちの気分?」って聞いてあげることで、選択肢を与えて相手の気分をより明確に聞き出せるわけです。

送信なしで受信ばかりしてる人は、相手の意見に合わせてるだけ。受信なしで送信ばかりしてる人は、ただの独りよがり。送受信できるスマホのほうがよっぽど優秀な気がします。バランスが重要なのです。でも今の世の中、圧倒的に受信側に偏ってる。「聞き上手が最強」みたいな風潮が、送信力を鍛える機会を奪ってるとすら思います。


ダンスは送信力を鍛えるべき

ここまでコミュニケーション全般の話をしてきましたが、ダンスではどうでしょうか。

ダンスって、考えてみたら究極の「送信行為」なんですよ。限られた時間の中で、自分はこういう人間です、自分はこういうダンスが好きです、自分はこの音楽をこう解釈してます——それを体一つで相手に伝える。言葉じゃなくて動きで。しかもバトルやコンテストだったら一発勝負です。

普段の会話では「自分の話ばっかりする人」って嫌われますよね。でもダンスフロアに立ったら、自分の話しかできないんです。しかもそれでいい。むしろそうじゃなきゃダメなんです。「ジャッジの〇〇さんはこういうのが好きそう」っていってバトルに臨む滑稽なダンサーさんが勝てるわけないんです。

ただし、自分の話を垂れ流すだけじゃただのノイズです。送信力が高いっていうのは、自分が伝えたいことを体系化して、伝わりやすく、感動しやすい形にまとめて届けられるってことです。音楽と雑音の違いに似ていて、一定のリズムや共感を生み出せさえすればそれは雑音ではなく音楽になりえます。人によっては雑音に聞こえる音楽もあるかもしれません。

そしてここが大事なんですけど、送信力を上げると必ず起きることがあります。嫌われます。自分はこうです、って明確にすればするほど、「それは違うだろ」って人が出てくる。当然です。全員に好かれる送信なんて存在しない。

でも同時に、「それめちゃくちゃいい」って刺さる人も必ず現れる。アイドルを追っかけている人に対して、「アイドルなんて追っかけて何になるの?」と思う人もいれば、追っかけてる本人にとってはそれが「自分の人生」だと確信するほどの人もいるわけです。人当たりのいいダンスは誰にも嫌われないけど、誰の心にも残らない。自分を全開で送信したダンスは賛否が分かれるけど、刺さった人には深く刺さる。ジャッジの心を動かすのは、いつだって後者です。

ここでひとつ、ダンサーがやりがちなことを言います。バトルが終わった後、ジャッジや周りの人からフィードバックをもらいにいくこと。これ自体は受信力の使い方として悪くないです。「ここが良かった」「ここはこうした方がいい」——ありがたい話です。

でも、そのフィードバックを全部取り込んで、次に「言われた通りにやろう」としてしまう人がいる。本当にそれでいいのでしょうか。あなたにフィードバックをくれた人は親切心でそう言ってくれてるかもしれませんが、それを受けてあなたが行動を変えたことに、その人は責任を持ってくれるのでしょうか。受信力は使えてるけど、送信力がブレてます。最終的に判断するのは自分自身であるべきです。

フィードバックをもらった。聞いた。理解した。その上で、「これは自分の送信に取り入れる」「これは自分には合わない」って判断する。その判断をすっ飛ばして全部受け入れるのは、コミュニケーションじゃなくてただの言いなりです。自分が何を送信したいのか。その軸がないままフィードバックを受信し続けたら、送信するものがどんどんぼやけていく。それは誰かの人生を生きていると言ってもいい。あなたの価値観に基づいて、あなたの人生を生きていくべきです。

とここまで、暑苦しい自己啓発モードに入ってしまいましたが、そうは言ってもどうすればいいのかと悩んでしまう人もいると思います。送信力を鍛えるために言いたいことを全部言います!とか、受信力を鍛えるために他者に尋問のごとく根掘り葉掘り質問を飛ばすとか、そういうことではないです。

シンプルでいいので、2つだけ意識して取り組んでみてはいかがでしょうか。

1つ目は、SNSでもメモでもなんでもいいので、毎日1つ「今日こういうことがあって、こう感じた」と書くこと。事実と感想だけでいいんです。これが送信力のトレーニングになります。自分の中にある感情を言語化して外に出す。誰に届くかは関係ない。まず送信する習慣をつけることが大事です。

2つ目は、人の話を聞いた時に「そうなんだ」で終わらせず、「それって面白いと思う」「それは悲しいね」と、自分がどう感じたかを一言添えること。これだけで、受信を送信に繋げるサイクルが回り始めます。「うんうん」で終わる人と、感想を返してくれる人と、どっちとまた話したいかは明白ですよね。

送信力を鍛えるっていうのは、嫌われることに対して積極的になるってことでもあります。自分の意思を伝えることにリスクを取っていく。それがダンサーにとってのコミュ力なのではないでしょうか。


まとめ

偉そうに語ってきましたが、私自身、送信力が足りなくて悔しい思いをしたことは山ほどあります。バトルで自分を出しきれなかった日。言いたいことを飲み込んでしまった場面。ですが、受信ばかりしていた頃の自分より、下手でも送信し始めた今の自分の方がはるかにマシだなと自信を持っています。

今回お伝えしたかったことをまとめます。

  • 「コミュ障」と「人見知り」は全く別物。人見知りはコミュ力の裏返しです。
  • 「人当たりがいい」は印象に残らないということ。角がないものは届かない。
  • コミュ力は「送信力」と「受信力」のバランスで成り立っている。世間は受信に偏りすぎている。
  • ダンスは究極の送信行為。送信力に振る勇気が、ダンスを含むコミュニケーション全般を変化させる。

そして、明日からできることは2つだけ。

①毎日1つ、「事実+感想」を書く。 SNSでもメモでもなんでもいい。今日こういうことがあって、こう感じた。それだけで送信力は鍛えられます。「今日はバトルで予選落ちしたが、会場は湧いていた。結果は伴わなかったけど自分の踊りの自信になった」みたいな感じです。

②人の話を聞いたら、感想を一言返す。 「そうなんだ」で終わらせず、「それ面白いね」「それは悲しいな」と自分の感情を添える。受信を送信に繋げるサイクルが回り始めます。「最近こういうアニメにハマってるんだよね」に対して、「どういうやつ?あなたがハマるってことはすごく気になる!」とか「自分も見たよ!絵は可愛いのに意外と人間の残酷さを表してて自分は苦手だった!」などです。

完璧な送信なんていらないです。というか、完璧な送信なんてこの世に存在しません。言いたいことを純度100%言葉になんてできないし、他人の言葉を純度100%で受け取ることもできません。ですが、あなたの小さなシグナルをキャッチする人は必ずいます。まずは自分の言葉で、自分の動きで、送信してみてください。大丈夫です。あなたの言いたいことなんて最初から最後までずっと伝わらないんですから。それでも、きっとそれに応えてくれる人が現れます。

最後までご精読いただきありがとうございました!


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